大河ドラマ『西郷どん』を見ている方は多いと思いますが、庄内地方にも西郷さんに纏わる場所があることをご存知ですか?
まだ放送はされてませんが(※2018年5月31日段階)、これから登場するであろう場所であります。
本日はそんな庄内地方と西郷さんとの関係について記事にまとめました。
これから庄内にくる方も、西郷どんファンの方にもわかりやすく解説します!!
こちらをみて庄内西郷どんツアー行ってみましょう!!
目次
西郷隆盛と庄内藩の関係
開国後、日本は倒幕の機運が高まっており、政局不安定などから庄内藩は江戸市中取締役の任命を受け(1863年)、江戸市中の警備をあたっておりました。
そんな中、倒幕の浪士たちが、江戸にある薩摩藩邸に逃げ込むことがよく見かけられておりました。
これをよしとしなかった庄内藩を中心に、三田にある薩摩藩邸を焼き討ち(1867年)、ここから翌年の鳥羽伏見の戦いが始まります。
庄内藩は戊辰戦争で、会津藩などを含む東北31藩と「奥羽越列藩同盟」を組み、西郷のいる新政府軍と戦います。
当時の豪商・本間家の支援もあり、最新の武器を携えて、新庄や秋田藩を相手に勝ち続けました。
そう長くはこの戦況は続かず、厳重な処罰を覚悟で同年9月に新政府軍・参謀の黒田清隆に伝えると、庄内藩への処罰は寛大なものであったことがわかりました。
この寛大な対応は実は西郷隆盛が指示したもの。
新政府軍の中では、庄内藩は反逆の危険性を含んでいるため、藩の管理は近くの大名などに任せておくべきだと議論されている中、西郷隆盛は一貫して寛大な措置を指示していたとのこと。
西郷さんの人柄が出てますね。
この話を黒田清隆から聞いた、庄内藩士・菅秀実は 痛く感銘を受け、のちに西郷隆盛と対面することになります。(1869年)
その様子を像にしたのが、南洲神社にある西郷さんと菅さんの像ですね。
西郷隆盛の名声を高めたのは庄内藩
この一件があったこともあり、庄内藩では西郷を訪ねて教えを仰ぐようになりました。
藩主・酒井 忠篤が旧藩士76人を引き連れ、鹿児島の西郷を訪ね軍事教育などを学んだり(1870年)、大日本帝国憲法が公布されると西南戦争で剥奪された官位が西郷に戻され名誉が回復しました。(1889年)
その後、旧庄内藩士たちが西郷から直接聞いた教訓や思想を一冊の本にまとめ1890年1月に刊行しました。
これが西郷を広く世に知らしめることとなった、「南洲翁遺訓」です。
4月になると、旧庄内藩士たちは完成した本を携え、全国を行脚し、西郷の功績を広めてまいりました。
西郷さん庄内ツアー!こんなところに行ってみよう
南洲神社
西郷隆盛の徳や功績を讃えて1976年に建造された、全国4箇所ある南洲神社の1つ。
遺品や研究資料が飾られております。
お問い合わせ:南洲神社
TEL:0234-31-2364
致道館
優れた庄内藩士の輩出、人材育成のために酒井家9代目・酒井忠徳公が設立した場所。
戊辰戦争後に、酒井忠徳と黒田清隆が会見したところです。
お問い合わせ:庄内藩校 致道館
TEL:0235-23-4672
松ヶ丘開墾城
1872年に設立された西郷が庄内藩士たちに開墾の仕方を指導した場所。
今は記念館として、当時の農具などが飾られております。
また、カフェとしても利用されているようです。
お問い合わせ:松ヶ岡開墾場
TEL:0235-62-3985
致道博物館
かつての酒井家のお屋敷だったところを使って、今は博物館として運営されてます。
戊辰戦争や西郷隆盛と庄内藩についての資料などが展示されてます。
お問い合わせ:致道博物館
TEL:0235-22-1199
清川八郎記念館
新徴組の組の立ち上げに大きく関わった、清川八郎の遺品などを展示してます。
近くに清川八郎と妻のお墓もあるようです。
お問い合わせ:清河八郎記念館
TEL:0234-57-2104
※参考資料:
http://www.mokkedano.net/course/feature/31
https://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020026/mailmag/special/dokuzi/201712.html