こんにちは。
家族4人、山形暮らしをはじめました。伊藤 秀和(@hidecch999)です。
日ごろより当ブログご来訪頂き、ありがとうございます!!
本日の記事は、当ブログに来ていただいた方にまずこちらを読んで頂き、伊藤秀和とはどんなやつか知って頂けると嬉しいです!
ということで、本日は初めましての方もそうでない方も、こちらを読んで頂ければ私がわかる自己紹介記事にて紹介させて頂きます!
目次
1984年横浜生まれ
1984年、世間では森永事件があったり、「ねるねるねるね」が流行っていた頃に、横浜市で誕生。
体重は3500gと割と大きめ。3つ上の姉がおり、その弟として生まれます。
肌が白くて髪の色素が薄くて栗毛だったため、たまに外人に間違われることも。
幼い頃は控え目キャラ、でも好奇心旺盛!!
少し大人し目・・・というか、身内には強気の内弁慶。
外面は控え目、知れている友達には強気!!そんなキャラだったようです。
なんでも好奇心旺盛だったので、犬のう●ちの入った袋を持って帰ってきたり、階段をダッシュで登って家の前でずるっとこけてまぶたがパカっ!!
まぶたの上10針近く縫う手術をしたりしていました。
ミニ四駆の改造をしまくり肉抜きにハマって、意気揚々と大会に出るものの、本番で初めてスイッチを入れたらタイヤが回転せずに、大会1回戦目で棄権。
計画はしっかり立てるけど、ぶっつけ本番精神のトライアル精神旺盛な幼少期。
当時はポケモンなんかも流行ってましたね。
ストレングスファインダーのTOP5に「収集心」が資質として入っている私はポケモンでも、カードダスでも、とにかく全て集めないと気が済まない性格でした。
ギターに出会い、幼ななじみと路上ライブデビュー!!
中2の頃、いとこがギターを始めた影響もあり、私もギターを始めました。
当時父親の使わないギターが1つ余っていたので、それを使って、見よう見まねでコードを押さえたり。
「月間歌謡曲」を片手に、慣れない手つきで引いてました。
その当時は、横浜生まれのフォークデュオゆずが流行り出す。
あんな風に自己表現して、街中で歌ってみたいなーと思っていたら、その次の正月こに幼なじみから一通の年賀状の返事が。
冷やし中華はじめましたばりの「ギターはじめました。」というのに対して、「俺もやってるよー!今度一緒にセッションしよーー」
ということで、横浜生まれの横浜育ちのフォークデュオ「浜っツ」結成!!
その年の夏には、オリジナル曲などを作って歌ったり、路上ライブを通じて開放的な空間と、学校以外のコミュニティーに心が充実。
いつも聞きにきてくれるお客さんがいたり、酔っ払いに絡まれながらも、その空間はとても心地良い時間でした。
ギターに出逢ったおかげで、自己表現に自信をもって、学級委員、応援団、放送委員会実行委員長、音楽祭の指揮者など、積極的に前に出るようになってました。
ムラっけある、高校時代
高校にきてからは、モチベーションにムラっ気のある時期でした。
学力レベルも同じくらいの仲間の中で、勉強自体も難しくなるから、わからないことも多く。
なんか理由作って授業に出なかったり保健室にいたり、友達と平日に海行ったり。
部活はテニス部に所属してましたがテニスそのものより、トレーニングの方が力入れていたかも。
高校のトレーニングルームがしっかりしていることもあり、プロテイン買って毎朝ジムに行って、毎日筋トレに没頭していたような気がします。
やっぱり浪人した!!
そんな高校生活だったから、浪人することに。
ただ悶々と、勉強に明け暮れよう・・・と思っていました。
そう思って覚悟を決めていた浪人時代は、意外に楽しく過ごせました。
浪人生の人種は幅広く、私大文系はもちろん、国公立クラスの人や、ダブり、ドロップアウトからの復活、医大の6浪生まで本当に様々。
勉強もたくさんした1年だったけど、出逢い豊かな一年でした!!
大学時代はやりたいと思うことをおもやった!!
晴れて、大学に入学!!
さあ、いっちょやってヤルゾーーーー!!
ということで、大学時代は色々なチャレンジ&遊び&バイトなどの活動をしました。
- 滝行
- チャリ旅
- バイク旅
- 全国一周の旅
- 青春18切符の度
- スカイダイビング
- バンジージャンプ
- キャニオニング
- サーフィン
- ウェイクボード
- ジェットスキー
- スノボ
- フルマラソン
- 皇居ラン
- 温泉巡り
- セブ島
- ハワイ
- オーストラリア
- 富士山
- 縄文杉
- 海の家バイト
- テレビ局バイト
- コンビニバイト
- 居酒屋バイト
- 試験監督
- 引っ越しバイト
- ライブスタッフバイト
- 郵便局バイト
- ラジオDJ
- 映像制作
- オール研究
- 飲み
などなど、これらのことであれば、語れるのでのちのちブログの記事にでもしようかと思います!!(笑)
20歳の時に本の自費出版!!
浪人時代の時に筆ペンでノート50冊にわたる詩集を書いていました。
日々感じている「人との出会いの素晴らしさ」「ものごとのあり方」「生き方」などをこの頃はオフラインで対面発信しておりました。
言葉を短冊大のサイズの半紙に書いて人に渡したり、書いた言葉によって人の心が動くような瞬間をつくることが好きでした。
そのときのライフコンセプトは『人生思い出づくり』
人には寿命はあるけど、人は誰かの中で生きていける。
だから『誰かと思い出を作ったり、生きた証を世の中にどれだけ残せるか』を大事にしてました。
そんな思いで、この多くの作品を世の中に伝えてみたいという感情で溢れていました。
そこで作ったのがこの本。
▼その当時出版した本がこれ▼
浪人時代に学んだ、3000以上の詩の中から当時19歳だった頃、選りすぐりの81作品を一冊の本にまとめたものです。
実際、『20歳の大学生が本を出版した!』・・・ということで、それなりに多くの反響をいただきました。
バイトで150万円貯めて、様々な出版先に営業。
結果、3社での出版しても良いという返事が!!
そのうちの感じがよく、とはいえコストも一番安い出版社に決めました。
初版500部刷って、書店流通他、手売りなどで300部販売!!
さあ、ここからだーーーって時に、まさかの出版社倒産。(涙)
まあ、世の中に自分の作品を出せたことに満足感はあった。
会社員が始まる!!
さあ、2008年4月より就職!!
大学の時に自身の本を営業するのって難しいなーーーーーと、思いがあり、こうした営業スキルって世の中で大事だなーーーと痛感。
そこで、
『営業職』
本・映像・音楽などメディアを通じて、人に思いやメッセージを伝えて人の動くきっかけを作れる仕事が良いなーと感じていて、
『人材業』
また、世の中にどれだけ多くの人の記憶の中で生きられるかに価値を置いていたので、影響力高い仕事がしたい。
世の中を自分の作品やつくったもので動かしていきたいと考えていたので、アーティストっていいなーと感じたことも。
でも、実際の生活をどうしても考えちゃう。
そう考えると、影響力高い仕事が出来るポジション=社長 になりたい、という思いでベンチャー社長を多く輩出している会社を志望しました。
結果、大手人材業界に内定。
電話・飛び込みでの新規開拓が中心の営業なので、それはまあゴリゴリ営業しておりました。
ベースは朝10:00-18:00まではPST(ピュアセールスタイム)と言われ、1時間25コールペースでひたすらTEL。
それ以前も朝のコンビニや、夜のキャバクラなどのナイト業への営業があることを考えると、もはやコンビニ状態。
1日の平均は200コール前後、多いときは300コール近くしてました。
PST外の時間は、営業準備や、納品(求人原稿を作成)などもあり、売れば売るほど仕事量が増え、なかなか帰れない日が多かったです。
もともと、こうした営業スタイル自体が労働生産型なので、オフィスワークだけど、揶揄して「パワフルワーク」と呼んでました(笑)
私の「鈍感力」も発揮し、独身時代はそれでも大丈夫でした。
私の同期は2008年に550人程度入社する、大量採用世代。
リーマンショックもあり、1年後には300人になっておりました。
10年間も過ぎると、同期は100人をきることに。
結婚する
これも大事なターニングポイントです。
大学時代から付き合いのあったサークルの同期と入社3年目のときに結婚をすることになりました。
きっかけは、同棲の話が出たときです。
横浜と東京を毎週末行ききしていたのですが、親に同棲の話を持ち掛けた際に、もともと結婚するつもりだったので結婚しよう!ということに。
子どもが生まれる前は、音楽フェス・スノボ・旅行・キャンプなどなど、妻とほんとにいろんなとこに行きました。
当時は焼き鳥の町「上大岡」に住んでいたので、二人の好きな焼き鳥屋に毎晩行ってましたねーーー。
平日でも仕事のストレスもあってか、よく終電からも飲みに行ったりしました。
それはそれで楽しかったなあ。
子どもが生まれる!!
絶対的に子どもが欲しいってわけではありませんでしたが、いざ子どもが生まれるとこれがまた最高にかわいい!!
寝顔見ているだけで仕事の疲れは一気に吹き飛びますね。
ちょっとしたわがままも受け入れられちゃいます。
しゃべりだしてからも、コミュニケーションができるようになってますますかわいい!!
長女と長男の絡みは家庭に笑顔を運んできてくれます。
下の子がもうちょい大きくなったら、家族みんなで夏は泊まりでキャンプに行くのが、直近したいこと!
限界突破、山形移住を決意!!
仕事も10年間やって、正直なところ飽きてきていました。
自分が大事にしたいものが大事にできていない感じ。
- 満員電車
- 無駄な飲み会
- 終電を逃して乗るタクシー
- 圧迫コミュニケーション
- やたら多い会議
- キャンプ場まで遠い自宅
- 狭苦しい部屋
- ビルがひしめく街
このままやっていても、この環境は続いていくし過ごしたい未来はやってこないと思っていました。
一方で、大事にしたい新卒キャリアのカードを切りたくないという思いもしばしば。
だいぶ以前から、親のいる酒田に戻ってくればという話もあったが、人から言われてもあんまりピンときませんでした。
そんなある日、グループとしても成果に苦しんでいた時期に、仕事が残業続きで帰るのが遅くなることに。
終電で帰宅し、ご飯を食べていると、泣きながら妻に言われました。
「こんなになるまで働いて、こんな生活もう嫌だ!!」
深夜に散々泣かれて、これではいかんと頭を冷やしてこの時に地方移住を決意しました!
地域おこし協力隊になる
地方に家族移住している人達の本を読み漁っていると、「地域おこし協力隊」という制度があることを知りました。
地域おこし協力隊とは2009年から始まった制度で、人口の減少や少子高齢化の著しい地方で地域協力活動を行うことで、その地域への定住定着を図ることで地域力の維持強化を図る制度。
地域おこしや地域の暮らし等に興味のある都市部の住民を受け入れて地域おこし協力隊員として自治体の長から委嘱。
隊員には地域ブランド化や地場産品の開発・販売・プロモーション、都市住民の移住・交流の支援、農林水産業への従事、住民生活の維持の為の支援などの「地域協力活動」に従事してもらい、併せてその定住・定着を図ります。
ここ数年でだいぶこの「地域おこし協力隊」という言葉を聞くようになりましたが、当初スタート時は89人だった隊員数が現在では4830人に、今では1000近くの自治体がこの制度を取り入れております。
ミッション型とフリーミッション形の自治体に分かれ地域課題に応じて仕事内容は様々です。
農業、林業、スポーツ振興、カフェ、ゲストハウス運営、観光業、アウトドア、マタギ、直売所運営、酒づくり、移住支援などざっと思い浮かべただけでも多岐に渡ります。
給与は自治体によりますが、額面で月16万円~20万円程度。(※住民税や社会保険料はここから引かれます。)
これに家賃補助(5万円前後)とガソリン代が支給される地域が多いです。
メリットとしては以下が挙げられます。
- 定住の準備期間になる
- 「地域おこし協力隊」という名前でいろんな活動に参加できる
- 最長3年間の生活の保障がある
定住の準備期間になる
卒業後は、6割の方が定住をしている地域おこし協力隊。
その環境に慣れるまでの準備期間として、家や収入の保障がある中で活動ができるのはありがたい。
仕事も、家も、人も、生活環境も、まるっと変わってしまうので、何かをベースとした活動が出来ると地域
活動を通じて、人を知り、町を知り、場所を知ることができ、今後の定着につながりやすい。
そのうちの3割が起業を選択。
起業の業種は以下の通り!
おいしい食材や、良い景観の場所も多いからか、飲食や観光系(移住、宿泊、観光等)が多いですね。
「地域おこし協力隊」という名前でいろんな活動に参加できる
「地域おこし協力隊」というだけで、地域内のいろんな行事に参加できたり、行動範囲は広げられます。
また横のつながりも「地域おこし協力隊」だけで様々なチャレンジが出来たり、協力隊のオンラインサロンや、コミュニティグループ等を通じて、全国の協力隊が繋がって情報交換しながら活動できることも心強い。
地域の近い協力隊とは、一緒に何かしてもおもしろそうですね。
最長3年間の生活の保障がある
家探しと、車探しと、仕事探しと、環境(人・生活習慣など)の変化が一気に来ると生活の変化もままならないところですが、車や家を町が用意してくれたり、収入に関しても一定のベーシックインカムはある状態で、移住生活をスタートすることができるので、その後の生活がしやすいです。
また、地域で生活しながら仕事を通じて出会った人や知れる情報なども、地方で暮らす上での大きな財産だと思います。
東京にいた頃よりも収入は半分になる。
それでも生活のミニマルコストはだいぶ下がっており、家族がいたとしても生活が安心してできます。
「これだ!」
ということで、早速応募。
そのときは実家の隣町の三川町で募集をしており、担当者さんとのご縁もあり今年より山形県三川町地域着任しております。
現在に至る
結果、思い切って家族で移住をして大正解でした!!
【移住1か月後変化】
・通勤時間短縮 1時間弱→5分
・帰宅時間早まる 22〜翌1時→17時半
・家族の時間増える
・突発的飲み無くなる(車だから)
・満員電車が無くなる
・無駄なお金使わなくなる
・家族で過ごす時間が増えた
・すぐBBQやキャンプ出来る収入は半分でも幸福度はアップ!!
— 伊藤 秀和@山形県三川町地域おこし協力隊 (@hidecch999) May 29, 2018
車移動が中心だから、飲み会も事前の調整が必須。
家も3倍近く広くなり、快適空間!!
子どもと過ごす時間が増え、家族の笑顔が増えました!!
地域おこし協力隊になっって、家族で移住をしたことで、やりたいことに向かっていける土台が出来たと思ってます。
この協力隊の3年間を使って、思い切りやりたいことをやりながら起業に向けて動いて参ります!!
地域おこし協力隊になるには
地域おこし協力隊に興味がある方はこちら!「地方創生プロジェクト」
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▼地域おこし協力隊の60人の挑戦を描いた本、協力隊志望者は必読の本!!